公営住宅制度は、戦後復興期における住宅ストックの量の絶対的な不足の解消を果たすものとして創設され、公営住宅法に基づき、健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を住宅困窮者に供給することを目的としてきた*1。元々想定していたのは、所得が低くて、住宅に困窮している若い夫婦を入居者とし、所得が上がり、自ら住宅の取得等が可能になった頃に退去していくというものであったようである。
その後、昭和40年代に1世帯1住宅が確保されてからは、量の確保よりも質の向上に重点を置いた住宅政策が展開され、また、社会経済情勢の変化に伴う多様な住宅困窮者が生じる中で、公営住宅は、住宅市場を補完する住宅セーフティネットとして、真に住宅に困窮する低額所得者に対してより公平かつ的確に供給されるよう、制度の充実が図られてきたとしている*2。
しかし、公営住宅制度の現実は、迷走しているように感じる。
近年は、空家の増加が問題となっているように、住宅の数自体は、十分満たされているように感じる。公営住宅の応募率は平成20年度で8.6倍ということであるが*3、他方で空き住戸を満たすことが課題となっていることからすると、住民のニーズとすると、必ずしも住宅に困っているのではなく、条件の良い住宅があれば入居したいというものだと考えざるを得ない。そうすると、公営住宅自体必要なのかということになってくる。
むしろ、公営住宅においては、住宅に困窮する程度が特に高い者について、事業主体の判断により、入居者選考において優先的に取り扱うことができ*4、著しく所得の低い世帯のほか、高齢者、障害者、DV被害者などが想定されているとのことであることからすると*5、公営住宅の存在意義は、住宅政策というよりも福祉政策としてということになるのではないだろうか*6。
そのように、公営住宅は、その制度が設けられた当初からその意義が変容していることなどを考えると疑問に感じる点が幾つかあるが、そのうち三つほど挙げてみたい。
一つ目は、公営住宅は、通常は空き住戸をできるだけ無くすようにすべきと言われる。しかし、空き住戸が生じるということは、真に住宅に困っている人が減っているということであるから、好ましいことであるのだから、公営住宅の入居率を高めることを考えるのでなく、公営住宅を積極的に廃止していくことを考えるべきではないだろうか。
二つ目は、公営住宅について量の充実から質の充実を図るべきと言われる点である。もちろん、最低限の質の確保は重要であるが、公営住宅という性格上、それを過度に強調するべきではなく、実際、新築の公営住宅は贅沢になり過ぎているようにも感じる。
三つ目は、公営住宅は、建替事業実施時に退去する者に対して移転料を支払うこととされている*7。しかし、低額の使用料で入居しているという利益を得ている者に対して、本人が自らの意思で退去する場合にそこまでの配慮は必要ないのではないだろうか。これは、借地借家法など民事法の考え方に過度に捉われたものであるように感じる。
なお、本記事は、板垣前掲書掲載の論文(P295~)を参考にしているが、同論文は、平成22年度に開催された国土交通省住宅局住宅総合整備課内の公営住宅に関する研究会での検討結果を基にしたものであるという*8。しかし、同論文の記載内容からすると、同研究会においては具体的な解決策の検討までは至らなかったように感じるところであり、公営住宅制度の迷走は、まだ続くのだろう。